これはいつも思う事なんですけれども、 villalobos の数多いディスコグラフィのなかで、オリジナル・アルバムって一体何枚になるんですかね。『Alcachofa』と『THE AU HAREM D’ARCHIMEDE』(過去記事)がそうなのは間違いないとして、『fabric 36』(過去記事)はミックスCDだったし、『Sei es Drum』(過去記事)は未発表曲集といった感じだったし。『Fizheuer Zieheuer』なんてもありましたが、あれは EP だって話しだし、だったらダブル・パックはどうなるんだなんて事までいったら、ホントきりがありません。
んで、そんな villalboos が perlon から秋に CD 出すというのは知っていたんだけど、これもなんと4曲入りの EP なんですってね。でも、またもや30分を超える曲があるようだし、残りの3曲もどうせ10分越えだろうから、今回もアルバム・サイズ。いやはや、すごい創作意欲です。
今作はその『vasco ep』からのアナログ・カット。世間との評価とは裏腹に、個人的には最近イマイチと感じる事の多い villalobos さんなんですけれども、やはり perlon との相性は最高で、今作はとんでもない傑作。
これからの(ジャンルとしての)ミニマルというものを考えた場合、要素をそぎ落としてよりミニマル(最小)になるか、様々な要素を足してより音楽的になるのか、この二つの方向性を考えたとして、 sleeparchive なんかの HARDWAX 周辺の連中は、よりミニマルになることを目指していると考えられます。
しかし私が興味あるのはむしろ後者の方で、こちらの方向性としては、設立当初からパーカッションを中心とした生楽器を取り込んでいた Cadenza があたるのは間違いないでしょう。
しかし私が寄り惹かれるのは、そこからさらに踏み込んで、より有機的な「演奏」ともいえる要素を感じさせるミニマルで、今年の頭に出た Bruno Pronsato の『Why Can’t We Be Like Us』は、その方向性の現時点での決定打といえるような傑作でした(相変わらず紹介してないけど)。
そして今作での “MINIMOONSTAR” も、そういった方向性に位置づけられる曲で、刻々と変化する生ドラムを軸にしていて、そしてその周りで鳴る音、それは微細なものも含めれば本当に沢山の音が鳴っているのだけれど、それらが流れるように、徐々に一つになって大きなうねりを生み出す様は圧巻。
もう1曲の “ELECTONIC WATER” はもっとミニマルなトラックながら、浮遊感を湛えながら、こちらも刻々と変化するもので、今までの villalobos だと、曲中に唐突に異物を混入する事で変化をつけることが多かったので、こちらでの流麗さは逆に印象的。
その分クラブでの機能性という点では若干物足りなさを覚えるものの、モノトーンのミニマル・ダブに変換した SHACKLETON 、原曲を生かしながらもよりリズムを前面に出した SAN PROPER の二つのリミックスが、見事にその部分を補完していて、構成としても文句なし。
今度の『vasco ep』は、最高傑作が期待できるかもしれん。
なんか今回上手く書けなかったんで、ここら辺はまた気がむいたときに書きますわ。